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南信州・中世の名族探訪シリーズ⑦ 宮崎氏(3/21)催行報告

南信州・中世の名族探訪シリーズ⑦ 宮崎氏(3/21)
「期間限定」に関するレポート

令和4321(月・祝)に「南信州・中世の名族探訪シリーズ⑦宮崎氏」が催行されました。出発前にスタッフ含め全員の新型コロナウイルスの抗原検査を行い、皆様の陰性を確認して出発しました。ご協力いただきありがとうございました。

九州の宮﨑県に発祥したとされる宮﨑氏。平安時代後期には富山県朝日町に移り、そこで木曽義仲の平家討伐に加わりました。その後、様々な説がありますが、飯田市座光寺宮崎の地に土着したと伝えられ、その館跡の見事な石垣が残っています。

今回のツアーのガイドである林さんと松沢さんから宮崎氏について詳しいお話をお聞きしました。江戸時代以降、阿智村に根を下ろし、旗本として向関、上町、下町、中関の四家に分立し、大変複雑な歴史がありますが、説明を聞いてだいぶ認識が深まったのではないでしょうか。

旗本・宮崎氏の菩提寺を拝観しました。宮﨑氏の立派な墓所や宮﨑氏出身で紀伊徳川家の2代藩主・徳川光貞の側室となり、四代藩主・徳川頼職の生母となった真如院から拝領した家紋入りの長柄三種には皆さん興味深々でした。

昼食後、旧宿場町の雰囲気が残る旧駒場宿を散策しました。呉服商の古民家をリノベした「つぼや」を見学し、レトロな雰囲気の残る旧銭湯「玉の湯」を女性ガイドの案内で見学しました。

江戸時代に上町宮﨑氏が再建した安布知神社の神殿・拝殿の内部を今回特別に拝観させていただきました。拝殿の格天井に描かれた見事な絵や外側に描かれた十二支の絵。また、神殿には「八幡様」「明神様(新羅明神)」そして主神である八意思兼命(ヤゴコロオモイカネノミコト)が祀られています。

旗本宮﨑氏の惣領家にあたる向関宮崎氏の菩提寺です。最初、最高所にある向関宮崎氏の墓所をお参りしました。格式高く並んだ五輪塔や宝篋印塔は見事でした。本堂では、向関宮崎氏の歴代の位牌をまとめた貴重なものを特別に拝ませていただきました。

向関宮﨑氏の館跡は今は田んぼになっていますが、一部見事な石垣が残っています。向関宮﨑氏の家老であった平野家の屋敷は、向関宮崎氏の館跡に隣接しており、今回、平野家ご当主のご厚意により、見事な邸内の庭園や蔵などを見学させていただきました。とても貴重な機会をいただき、大変ありがとうございました。

今回の宮﨑氏のツアーの最後の目的地です。江戸時代、四家に分かれた宮﨑氏ですが、三家が旗本となり、江戸中期には三家ともに幕府から取り潰しになりますが、中関宮﨑氏は庄屋として江戸時代を存続し、最近までこの地に居を構えました。現在は居を別の地に移しましたが、屋敷跡に残る「中関の大杉」はその面影を伝えてくれます。

「南信州・中世の名族シリーズ」は今回で7回目となりました。小笠原氏、知久氏、片切氏、下條氏などは比較的多くの方が知っていますが、宮﨑氏については余り知られていないと思います。今回のツアーを通して、宮﨑氏が旗本として阿智村の領主であったことをはじめ、徳川家康の2人の側室や紀州徳川家藩主の生母(国母)を輩出したことなど、以外と知られていない宮﨑氏について知っていただくきっかけになれば幸いです。

今回は、多くの方にご参加いただき誠にありがとうございました。

Staff ゆっき~

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