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期間限定

南信州山城探訪ツアー催行報告(11/25)

南信州山城探訪ツアー催行報告(11/25)

2018年11月25日
「期間限定」に関するレポート

南信州山城探訪ツアー

~南本城跡と鈴岡城跡&松尾城跡を訪ねる旅~

 

最近は、戦国ブームと相まって「山城」を訪れる人が多くなっていますが、南信州にも知られざる素晴らしい山城が戦国そのままに残っています。

昨年からこうした南信州の山城を訪れる「南信州山城探訪ツアー」を実施し、今年で2回目となりました。昨年は、大河ドラマ「おんな城主 直虎」ゆかりの城である「松岡城跡」と武田流縄張りの傑作とされる「伊那大嶋城跡」を訪ねました。

今年は、南信州最大級の規模(縄張り)を誇り南本城跡と信濃守護職として勢力を誇った小笠原氏の居城である松尾城跡と鈴岡城跡を訪ねました。

 

まずは、南信州最大級の縄張りを誇る「南本城跡」です。城跡の登り口にある麻績(おみ)神社前で参加者全員の自己紹介をしていざ出発です。なおこの地は、南本城跡、麻績神社、 旧座光寺麻績学校校舎(明治初年に歌舞伎舞台と学校の併用目的で建築)、麻績の里舞台桜、元善光寺など歴史や文化財に満ちた場所で「麻績の里」「二千年浪漫の里」として内外に知られています。

 

 

途中、尾根を大胆に切って敵兵の尾根の歩行を妨げる巨大な掘り切りを見て、本郭(本丸)に到達しました。本郭には幅の大きい土塁が残り、その下には何重もの腰郭(帯郭)が敵兵の侵入を妨げます。

 

  

本郭から北西側には、ここ数年の地元の方々の伐採作業により明らかになった敵兵を防ぐ遺構を巡りました。何気なく歩けば全く気付かないものの、山城ガイドの案内を聞いて、敵兵の侵入を防ぐすごい仕掛けがあるのは分かり皆さん驚いていました。「く」や「S」の字に曲げた掘り、掘りに掛けられた土橋を渡る敵兵を横から弓矢や鉄砲で攻撃する「横矢掛り」などすごい仕掛けが隠れていたのです。

南本城は、こうした敵兵の攻撃を防ぐ仕掛けが素晴らしい「防御専一の城」と言われますが、こうした巨大な山城を地元の領主(国衆)である座光寺氏が単独で築いたとは考えにくく、武田、織田、徳川、北条などの戦国大名が築城に関与したと考えられています。しかし、現在のところ誰がどのような目的でこの「防御専一の城」を築いたのか謎に包まれており、ある意味謎が多く戦国ロマンに満ちた山城と言えそうです。参加者の皆さんも山城ガイドの案内を聞いて、それぞれに想像をふくらましていました。

 

南本城の探訪のあとは、戸隠そば「あすき」にて、“信州蕎麦の本場”戸隠で修業を積んだ蕎麦打ち師による手打ち蕎麦を味わいました。

 

 

今回の山城探訪のもうひとつの見どころである小笠原氏の居城を2箇所訪ねました。まずは松尾城跡です。先ほどの南本城跡に比べて大変広い城域で、さすが信濃守護として信濃国を支配した小笠原氏の居城です。

 

南方面には、谷(毛賀沢)を挟んで、この後訪れる鈴岡城跡を眺めました。中世、松尾小笠原氏と鈴岡小笠原氏は同族でありながら、松本の府中小笠原氏も交えて三つ巴の争いを繰り返しましたが、そうした歴史が目の前で実感できました。

 

 

松尾城跡から毛賀沢の橋(竜西一貫水路)を渡り、急な坂を登ると鈴岡城跡に着きました。鈴岡城跡は、戦国時代に武田信玄に攻められ落とされた歴史があります。出郭、そして土塁に囲まれた本郭を見た後、本郭と二郭の間にある堀の深さを実感しました。

二郭と山側にある堀を両側から見ると、堀の深さと幅に驚かされます。

 

 

山城探訪に続き、小笠原氏の菩提寺である開善寺を訪れました。鎌倉時代、執権北条氏の一族である江間氏がこの地の伊賀良庄の地頭になり創建した古刹で、南北朝時代に足利尊氏に従い信濃守護に任じられた小笠原貞宗が、中国(元)の名僧・清拙正澄(大鑑禅師)を京都建仁寺より招聘して開山としました。参加者の皆さんは、戦国時代に再建された山門(国重要文化財)と庭園の美しさに多くの写真を撮られていました。

 

 

最後に飯田市の伊豆木にある旧小笠原家書院と小笠原資料館を訪ねました。書院と資料館を管理されている久保田さんから大変詳しいお話を伺いました。久保田さんによれば、小笠原資料館には、建物自体を見るために世界中から多くの方が訪れるそうです。それはなぜかと言えば、この資料館の設計者である女流建築家の妹島和世(せじまかずよ)さんは、ここ小笠原家に大変ゆかりのある方で、フランスのルーブル・ランス(ルーブル美術館別館)や金沢21世紀美術館などの設計を手掛け、建築界のノーベル賞と言われる「プリツカー賞」を受賞されたすごい方であるためだそうです。

 

 

さて、資料館と書院の外観を眺めた後、いよいよ書院の中に入り久保田さんの大変熱心はお話をお聞きしました。この書院は、先ほど訪れた松尾城の城主・松尾小笠原家の分家で、江戸幕府の旗本としてこの地(伊豆木1,000石)を治めた伊豆木小笠原家の書院です。なお旗本は徳川将軍家の直臣として江戸在府が原則ですが、伊豆木小笠原家は例外的に所領(信濃国伊豆木)に屋敷を構え、所領と江戸を交互に参勤交代するため「交代寄合衆」と呼ばれました。

書院の中に入り、殿様と家臣が対面した座敷に座らせていただき、久保田さんから小笠原家の殿様の中から大変苦労をされた殿様、小笠原長秀のお話をお聞きしました。小笠原長秀は、室町時代中期、金閣寺を造ったことでも有名な足利義満から信濃国守護に任じられ、京都から意気揚々と絢爛豪華な行列を従えて信濃国の善光寺に入国しながら、その高飛車な政治のため信濃国の村上、大文字一揆など国衆の叛乱(国人一揆)が起こり、国人一揆勢に攻め立てられ、最後は馬の肉まで食べて籠城し、京都に逃げ帰りました。これを歴史上「大塔(おうとう)合戦」と言いますが、その顛末について詳しく熱のこもったお話をいただきました。

 

大変苦労された殿様のお話の後、屋敷内に展示されている二つのお駕籠についてお話を伺いました。黒漆の駕籠は、金具の彫金が素晴らしく、名古屋城の本丸御殿の再建を手掛けている方によれば、これほどの彫金はなかなか無いそうです。ちなみにこの駕籠は、美濃国久々利の旗本である千村家の姫が小笠原家に輿入れした際に乗ってこられた駕籠です。

もうひとつの駕籠は、白木の駕籠(皮を削っただけで漆など塗っていない駕籠)で、日本に2例ほどしかない大変貴重なもので、公家など高貴な方が乗った駕籠だそうです。なぜ小笠原家にあるのかと言えば、武田信玄の奥方の三条夫人は、京都の公家で左大臣の三条公頼の娘で、武田家への輿入れの際に武田家に伝来したこと、その後武田信玄の姪(信玄の弟である武田信廉の娘)が松尾城主の小笠原信嶺の正室となり、輿入れの際に小笠原家に伝来したことが考えられるとのこと。駕籠を持つ柄には、菊の紋(15菊花)が彫金されています。

久保田さんから小笠原家書院について説明を受けた後は、小笠原資料館を観覧しました。小笠原家は、鎌倉・室町・徳川の各将軍家の弓馬術(犬追物、笠懸、流鏑馬など)と礼法の指南役を担当した弓馬術・礼法を伝える特殊な家であるため、伊豆木小笠原家には、弓馬術礼法の相伝書、指南書などの多くの巻物が出伝来しており、その一部が展示されていました。

旧小笠原家書院・資料館を見学した後は、飯田インターの近くにある「りんごの里」で「りんごの里」発着の方は解散となり、名古屋発着の方は「ふじ」など旬を迎えたりんごなど買い物をし、名古屋への帰途につきました。

今回の「南信州山城探訪」ツアーはいかがだったでしょうか?南本城跡、松尾城跡、鈴岡城跡の3箇所の山城に加え、開善寺と旧小笠原家書院を巡るという内容の込んだ行程となり、ゆっくり巡ることができなくて参加者の皆様には申し訳なく思っておりますが、山城の専門ガイドの解説を聞きながら巡り、山城の隠れた魅力を存分に味わわうことができたのではないかと思います。

南信州には、まだまだ多くの魅力と謎に包まれた山城がたくさんあります。今後も山城の魅力に触れていただき、また南信州の様々な魅力も併せてお楽しみいただくツアー企画を行っていきたいと思いますので、その際には是非ご参加いただければ幸いです。

 

by ゆっきー

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