現地からのレポート

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南信州の陣屋跡を巡る②(11/25)催行報告

令和5年11月25日(土)に、「南信州の陣屋跡を巡る②~高須藩竹佐陣屋、原町陣屋、山吹陣屋、お茶屋御殿、小町谷家住宅~」が催行されました。
今回のツアーは、今年2月に実施しました「南信州の陣屋跡を巡る①」の続編です。また今年10月に岐阜県海津市と飯田市の間で「海津市・飯田市災害時相互応援協定」が締結されました。これは、江戸時代に尾張藩徳川家の支藩である高須藩(3万石)の藩庁が海津市(高須)に置かれ、飯田下伊那地域には藩領の半分の15000石がありましたが、その領地を支配するために竹佐陣屋(飯田市竹佐)が置かれるといった歴史的な繋がりが契機になりました。今回のツアーは、この協定締結を記念して高須藩竹佐陣屋はもちろん伊那谷の歴史を特徴づけている「陣屋」を訪ねるツアー内容になっています。

まず初めに訪れるのは、江戸時代の幕末の短い期間ですが、奥州白河藩(10万石)の飛び地として飯田下伊那地域に置かれた白河藩領を支配するために置かれました。現地にはその面影はほとんど残っていませんが、ガイドの山内先生の話を聞き、陣屋の図面を見ながらかつての陣屋の様子を想像しました。

江戸時代、伊豆木小笠原氏、阿島知久氏とともに「交代寄合・信濃衆三家」と呼ばれた山吹藩座光寺氏。菩提寺である領法寺をスタートし、陣屋周辺の城下町を山内先生の詳しい話を聞きながら、城下町の古い図面や陣屋の平面図を見ながら想像を膨らませながら楽しく散策しました。

上片桐の片桐宿の南の桝形から300mほど西に入ったところに飯田城主・脇坂氏のお殿様が狩りに訪れた際に休憩に立ち寄った場所で、南北に延びる脇坂領内のほぼ中間に設置された陣屋(片桐陣屋)の役割を果たしました。跡地には果樹園のみで何も残っていませんが、地元の保存会の方が設置した石柱のみが建立されていました。

駒ケ根高原の早太郎温泉にあり、茅葺の風情ある建物にて駒ヶ根ならではのソースかつ丼と信州そばをメインとした「竹取御膳」をご賞味いただきました。ソースかつ丼と言っても、このお店のこだわりで「かつ」とご飯は別にお召し上がりいただく形式になっていました。店の入口にある足湯では、食事後に数人の方が入っていらっしゃいました。とても温まって気持ち良さそうでした。

旗本・近藤氏(5,000石)の上穂領(1,000石)の支配を担った小町谷家の住宅です。バスを降りると目の前に立派な門と長塀が現れました。ガイドの細江さんの案内で石垣の積み方をはじめ詳しい話を聞きました。東門と長塀の「切り込みハギ」の石垣は「高遠石工」で有名な守屋派が請け負っており、東門や主屋の式台の建物は諏訪の立川流が請け負うなど超一流の人々が建設に携わっているそうです。屋敷の隅にある巨大な宝篋印塔や小町谷家の墓所などを含めて、飯田下伊那にはない豪農の佇まいには驚かされました。

今回の陣屋巡りのメインテーマでもあります竹佐陣屋跡を訪れました。東面の石垣のみしか残されていませんが、ありし日の佇まいを残す貴重な史跡だと思います。また、陣屋跡を見学した後、飯田下伊那に点在する領地の村代官が竹佐陣屋に訴状などに来る際に宿泊する「郷宿」の跡も見学し、竹佐陣屋が三州街道のすぐ近くにあることも実感しました。

竹佐陣屋跡のすぐ近くにある古刹で、竹佐陣屋に赴いた代官など高須藩士が度々参拝した藩主の位牌堂をご住職の案内で特別に拝観させていただきました。

伊那谷、特に飯田下伊那など南信州は、江戸時代、大きな領主による一元支配ではなく、飯田藩、高須藩、旗本領、幕府領などが細分化されて複雑な支配体制となっていました。そのため、南信州には各領地を支配する陣屋跡が多いのが特徴です。今回2回目の陣屋を巡るツアーを実施しましたが、こうした南信州の歴史的特徴を感じて理解していただけたのではないかと存じます。また、12月10日(日)に催行いたします高須藩の藩庁である海津市を訪ねるツアーも合わせてご参加いただければ大変有難く存じます。今回は、多くの方に当ツアーにご参加いただき、誠にありがとうございました。

Staff ゆっきー

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