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南信州の豪族・下條氏の興亡を辿る(4/9・11)催行報告

南信州の豪族・下條氏の興亡を辿る(4/9・11)
「期間限定」に関するレポート

令和349()411日(日)の両日、令和3年度南信州ふるさと再発見の旅1回目として、「南信州・中世の名族探訪シリーズ③南信州の豪族・下條氏の興亡を辿る」が催行されました。今回は、11日(日)にツアーを企画・募集しましたが、定員をはるかに超えた参加があり、9日(金)に追加ツアーを設定しました。両日ともに定員15名づつ、合計30名の方にご参加いただきました。参加された皆さん大変ありがとうございました!


~下條氏の本拠地を俯瞰!合原 東山より~
本日の下條氏ガイドの原さんと合流したあと、バスから降りて下條氏の本拠地を俯瞰しました。これから訪れる吉岡城址、万葉集の菅野荒野、大山田神社、龍嶽寺、そして古い歴史に彩られた山々など、歴史と文化が凝縮した風景です。


~吉岡城跡・城下町(下條氏居城)を散策~
本郭を見学し、中世の城下町の跡が大変良く残る城下町を原さんの案内で散策しました。領主の炊事場、人質が住まわされた場所、大手門と二の門の中間にある桝形、竪町と横町、江戸時代に人形操り(名古屋から)と歌舞伎が行われた場所など、昔の城下町の姿が想像できる貴重な時間でした。


~菅野荒野  万葉集に「菅野荒野」として詠われた菅野荒野~
吉岡城の城下町から田んぼの中に出て少し歩くと、万葉集の中で「菅野荒野」として詠われた故地、菅野があります。菅野荒野を記念した石碑の前で、万葉集や源実朝、宗良親王、賀茂真淵など各時代の著名人が菅野荒野を詠んだ和歌の紹介がありました。


~鎮西家の桜、大山田神社~
龍嶽寺に近接する鎮西家は、保元の乱で活躍した鎮西八郎為朝(源為朝)の子孫とも言われ、桜の時期を過ぎてしまいましたが、鎮西家の「清浜桜」は見事でした。「式内社」として大変古い歴史のある大山田神社では杉の巨木に圧倒されました。


~龍嶽寺 ~下條氏の菩提寺~
いよいよ下條氏の菩提寺・龍嶽寺です。本堂も庫裏も大変立派なお寺です。副住職にご挨拶いただいた後、ガイドの原さんから、江戸時代の禅僧・白隠慧鶴の書画について、また徳川家康から下條氏への15通もの書状(龍嶽寺所蔵)について説明がありました。その後は、地元の仕出し弁当の昼食をいただきました。


~大沢城跡~
国道151号からそれて、少し入ったところにある大沢城跡。下條氏が、松本の小笠原氏からの養子・下條康氏を迎えて吉岡城に移る前の下條氏の居城です。下條氏の系譜については諸説あり難解ですが、ガイドの原さんから詳しい話をお聞きしました。でもなかなか難しいですね⁉


~犬坊の墓~
阿南町の国道151号沿いの阿南消防署の近く、旧遠州街道沿いに「犬坊の墓」はひっそりと佇んています。戦国時代、新野の関氏が下條氏に滅ぼされた折、暴君だったと言われる関氏最後の領主・関新蔵盛国を裏切って盛国を討ち取った関氏家臣の若者(「コブ」と言われる)が、吉岡城での下條氏の饗宴後、帰路についていた時、山犬に喉元を嚙みつかれ絶命したとされます。それを哀れんだ方が、古い古墳の石室に墓を作り「犬坊の墓」として伝えられているそうです。なお、山犬は、関氏を裏切った若者(コブ)を恨んだ関氏旧臣だったとも言われます。この話は、井上靖の短編小説『犬坊狂乱』に描かれています。


~瑞光院~ 
いよいよ下條氏と対立し、最後は下條氏に滅ぼされた雄族・関氏の本拠地である新野に入りました。瑞光院は、関氏の菩提寺で、関氏が滅んで下條領となってからは、下條氏に保護されたようです。山門前の枝垂れ桜は満開を迎えていました。本堂にご案内いただき、若住職から関氏と瑞光院の歴史などについて説明をいただきました。 

旅の最後に、道の駅新野千石平へお買い物と休憩に立ち寄りました。新野名物の御幣餅やこの地ならではのお土産を皆さん多く買われていました。道を挟んだ「つるや菓子舗」に足を延ばして名物「つるや饅頭」を買い求めている方もいました。

今回は、南信州・中世の名族探訪シリーズ③として、下條氏のゆかりの地を訪ねました。下條村、そして阿南町は、昔の面影をとても良く残しており、中世この地に大きな勢力を誇った下條氏の足跡を訪ねる上で、ガイドの原さんのお話を聞きながら、想像力を膨らませることができたのではないでしょうか。

今後は、今回の下條氏に続いて、6月には、南信州の名族探訪シリーズの第4弾として「知久氏」をテーマにツアーを行います。興味がございましたら、またご参加いただけるとありがたいです。

今回は、多くの方にご参加いただき大変ありがとうございました。

Staff ゆっきー

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