現地からのレポート

期間限定

松岡氏と座光寺氏 “激動の中世を生き抜いた因縁の一族” (11/7)催行報告

南信州・中世の名族探訪シリーズ⑥
松岡氏と座光寺氏激動の中世を生き抜いた因縁の一族(11/7)
「期間限定」に関するレポート

令和3117()に、南信州ふるさと再発見の旅「南信州・中世の名族探訪シリーズ⑥松岡氏と座光寺氏激動の中世を生き抜いた因縁の一族」が催行されました。「南信州・中世の名族探訪シリーズ」の6回目ということで、今回は高森町、飯田市座光寺地区に勢力をはった松岡氏と座光寺を取り上げました。

今回、地元座光寺の「歴史に学び、地域を訪ねる会」の方々に、北本城跡と南本城跡をご案内いただきました。両城跡は、座光寺地区にあることから「座光寺氏」の城跡と考えられますが、確かな資料はなくはっきりしたことは分かりません。北本城跡の中心は、現在の座光寺小学校敷地にあたりますが、今回、周辺の座光寺保育園、耕雲寺周辺の遺構を見学しました。南本城跡は、北本城跡が領主(座光寺氏)の平常の住居・館としての性格が濃いのに比べ、南本城跡は、実際の戦争を意識した「防御専一」の城としての性格が濃い城です。ガイドの方の案内で複雑ながらも今も良く残る山城の痕跡をかみしめながら散策しました。

中世の座光寺氏(?)の史跡を訪ねた後は、いよいよ松岡氏の史跡を高森町歴史民俗資料館の芦部館長さんの案内で訪ねます。最初は、平安時代末に東北で起こった「前九年の役」で源氏と戦って敗れた安倍貞任の子孫をされる松岡氏が最初に築いた城と伝えられる「松岡古城」を訪ねました。

松岡氏の本城とされる巨大な平山城である「松岡城跡」を見学しました。段丘先端の本郭まで5箇所の堀で各郭が仕切られ、本郭には見事な土塁や虎口(城の出入口)が見られます。本郭下の帯郭の複雑な構造も歩きながら見学しました。

松源寺は松岡氏の菩提寺で、戦国時代、松岡貞正が弟の高僧・文叔瑞育和尚を開山として開いた寺です。ご住職から寺の歴史を、特に戦国時代に今川氏に命を狙われ松源寺に逃れた遠州井伊谷の井伊亀之丞(直親)を匿った歴史についてお話をいただきました。

湯ヶ洞での昼食後、下市田にある萩山神社を参拝しました。萩山神社は、松岡氏が諏訪大社から鎌倉時代に勧請した神社で、松岡氏は諏訪大社に対する信仰が厚く、神社上の「御射山」では諏訪大社の祭礼を行ってきたそうです。

萩山神社の下に位置する安養寺は、南北朝時代に松岡氏が開善寺かた高僧を招いて開いた松岡氏の菩提寺です。南北朝時代に松岡氏が奉納した大量な経典が残っており、今回その一部を特別に見学させていただきました。

泰山神社から旧山吹藩の城下町に向かい、旗本座光寺氏の墓所を参拝しました。墓所は、戦国時代に座光寺の宮崎氏の流れの山吹氏が居城とした山吹城の本郭にあります。

旧山吹藩の家老の屋敷跡や「馬出」の石垣などを旧城下町を散策しながら、旗本座光寺氏の菩提寺である領法寺を拝観しました。ご住職から最澄・空海の平安仏教の話から始まり、座光寺氏の菩提寺としての寺の歴史をお聞きしました。また、山吹藩初代藩主の座光寺為真の位牌と木造を今回特別に拝観させていただきました。とても貴重な寺宝を見せていただき、大変ありがとうございました。

 

ツアーの最後に、高森町歴史民俗資料館を訪問し、座光寺氏の甲冑や山吹藩の地図など座光寺氏に関する史料を見学しました。また企画展として展示されている「高森町の道」展と「今村清之助」展を見学しました。芦部館長が熱心に詳しく解説してくださり、とても内容の濃い内容になりました。

今回は、6回目となる名族探訪シリーズで、松岡氏と座光寺氏ゆかりの地を訪ねました。各所で地元の方、専門家の方、また各ゆかりの寺のご住職に大変お世話になり、各所でツアーでなくては体験できない貴重なお話をお聞きすることができ、ツアーの醍醐味を感じていただけたのではないかと思います。座光寺氏は、中世の座光寺氏と近世の交代寄合の旗本・座光寺氏との関係が分からない部分が多く、また松岡氏も戦国末期に徳川家康に改易され、史料が少なく、まだ解明されていない部分も多い一族です。

今後、研究により新たな資料が発見され、さらに研究が進んでいけば良いと思います。

今回は、多くの方にご参加いただき大変ありがとうございました。

Staff ゆっきー

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