現地からのレポート

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“甲斐の虎”と恐れられた武田信玄終焉地の謎に迫る(8/27)催行報告

令和4827()に「“甲斐の虎”と恐れられた武田信玄終焉地の謎に迫る」が催行されました。
今年で15回目となる「武田信玄狼煙リレー」。伊那谷を縦断する狼煙リレーを見学し、合わせて飯田下伊那の三州街道沿いで亡くなったとされ、各地に残る武田信玄終焉地の謎に迫るツアーです。狼煙リレーは午前10時に根羽村の杣路峠をスタートし、伊那谷の各城跡や狼煙台などで狼煙をリレーし塩尻市まで繋ぎました。

今回見学する久米ヶ城跡では、狼煙上げに合わせて地元公民館主催のイベントが子ども中心に賑やかに行われていました。久米ヶ城跡は北方面の眺望が抜群で、城山での狼煙が上がると、それに続いて兎跡跡、神之峰城跡、富田城跡、加々須茶臼山や遠く台城まで狼煙上げを確認することができました。

今回のツアーでは、ガイドの酒井さんから狼煙や武田信玄終焉地について詳しいお話をお聞きしました。古くはシルクロード、中国、朝鮮半島などでも狼煙は使われたそうで、「狼の糞」を混ぜると煙が黒く真っすぐ上がるため、「狼の煙」→「狼煙」という言葉もできたそうです。

阿智村伍和(ごか)の満蒙開拓平和祈念館近くにある「ごか食堂」。地元伍和(ごか)地区のお母さん方の手作り料理を味わいました。とっても美味しかったです。

武田信玄終焉地として一番有名な阿智村駒場にある長岳寺を訪ねました。住職から長岳寺は信玄が亡くなった寺ではなく、信玄を火葬に付した寺であることなどお話をしていただき、信玄の火葬に立ち会った家臣(馬場美濃守信春)から寺に送られた兜の「鍬形台」など貴重な寺宝を拝見しました。

阿智村浪合の旧浪合宿は、天正103月、武田氏討伐のため信濃に攻め入った織田信長が甲斐国で戦死し送られた武田勝頼父子の首実検をした場所と伝えられます。勝頼の父・信玄終焉地は浪合・平谷であるとする資料・説があり、信長がこの地で勝頼父子の首実検を行ったのは、この地が父・信玄終焉地であり、それを意識して敢えてこの地で首事件を行ったとする説もあります。

『甲陽軍艦』や『熊谷家伝記』には、信玄が「根羽(ねばね)」で亡くなったことが記されています。根羽村横畑にある「信玄塚」には信玄の宝篋印塔が祀られており、これは江戸時代に、武田信玄百回忌を祈念して家臣たちが祀ったものと言われていますが、そこには『甲陽軍艦』の記事が大きく影響しているようです。今回、地元在住の方からも国道153号下にある信玄塚関連の史跡をご案内いただきました。

武田信玄狼煙リレーは、狼煙上げに関する史実とは異なりますが、情報伝達のため狼煙を駆使した武田信玄の事績と時代に想いを馳せるとても興味深い歴史イベントだと思います。南北に長く谷を構成する伊那谷の特性を生かした狼煙上げは、武田信玄の時代も現在も共通するものがあります。

また、武田信玄終焉地に関しては諸説あり歴史浪漫を感じることができました。定説がないことが魅力かと思いますし、武田信玄がどこで亡くなったかという歴史浪漫は、南信州の大切な歴史資源であると思います。

こうした歴史浪漫を感じられる各種ツアーを今後も実施して参りたいと思います。

今回は、多くの方にご参加いただき誠にありがとうございました。

Staff ゆっきー

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