現地からのレポート

期間限定

~漂泊の俳人・井上井月~下伊那の井月 吟行・句碑巡りの旅(9/18)催行報告

令和4918()に「~漂泊の俳人・井上井月~ 下伊那の井月 吟行・句碑巡りの旅」が催行されました。今年は、“漂泊の俳人”と称される井上井月の生誕200年の年にあたり、井月の命日(311日)に因んで「井月忌」が春を表わす俳句の季語に採用された記念の年でもあります。
今回、井上井月顕彰会下伊那支部と共催で、井上井月について大変造詣の深い先生に加え、「吟行ツアー」として俳句の先生2名を「短詩アドバイザー」として同行いただき、「下伊那の井月 吟行・句碑巡りの旅」を実施しました。井上井月といえば、主に上伊那地方を漂泊した俳人であり、下伊那には余り縁がない人といったイメージがありますが、今回のツアーを通して、下伊那にも井月の足跡を読み取ることができたのはないでしょうか?

松源寺は井月が滞在した寺で、当時の住職のほか市田周辺の庄屋クラスの人達と句会を催すなど縁の深い寺です。松岡城跡の先端からは、井月が立ち寄った市田の中村家、久保田家、また座光寺の湯沢家などの位置を確かめました。

光専寺では、ご住職から寺の歴史や住職の曾祖父と井月との関わりなどについて、寺の濡れ縁にてお話を聞きました。本島家や吉田神社の位置も確認できました。

高森町歴史民俗資料館で開催中の井上井月真筆展には、瑠璃寺所有の井月真筆(板書き)が展示されており、井月と瑠璃寺の関連を彷彿させます。庫裏の前庭には、立派な松と赤と白の2色の花が満開を迎えた「さるすべり」が迎えてくれました。参道に咲く「彼岸花」も併せて、「吟行ツアー」の素材に出会えた人も多かったようです。

上片桐には、大島宿寄りに「海蔵寺」と片桐宿の入口に「瀧泉寺」があります。井上井月は、大島宿から片桐宿付近を訪ねた際の日記に「海龍寺」に立ち寄ったことが記されているそうです。しかし、この「海龍寺」という名の寺は現在存在せず、「海蔵寺」と「瀧泉寺」が合わさって誤記したのではないかとの説もあり、井月を巡る一つの謎になっているそうです。

高森町から今回の旅をスタートしましたが、飯島文化館で初めて井月の句碑に辿り着きました。文化館裏手の目立たない場所に句碑がありますが、「灰に書く 西洋文字や 榾明り」の句で、明治の文明開化の時期を伺わせる句です。

飯島町といえば、「アルプスサーモン」と「馬肉」の産地として知られています。和泉屋さんでは、両方の丼ぶりを合わせた「和泉屋定食」が人気で今回ご賞味いただきました。

飯島町の田切地区にある古刹・聖徳寺を訪れました。竜宮城を思わせる珍しい山門の前に井月の句碑がありました。井月の日記には、聖徳寺にて「湯漬け」を頂戴したとあります。また、境内には水戸浪士伊那谷通行の際に、武田耕雲斎が残した句の石碑もありますが、水戸浪士の伊那谷通行の際には、井月は伊那谷を避けて北信に訪れたいうエピソードも伝わります。

井月は、現在の中川村、特に四徳地区を良く訪れ、四徳の方々には大変厚遇されたそうです。望岳荘のすぐ近くには、庄屋であった横前家があり、井月との交流を示す井月の真筆も残されていたそうです。大草城跡には井月の句碑が建てられていました。

ツアーの最後に高森町歴史民俗資料館で開催中の「井上井月真筆展」をガイドの唐木さんの案内で見学しました。素晴らしい展示内容で、井月の書の素晴らしさも実感しました。続いて俳句講師(短詩アドバイザー)の2人の先生の指導の下、ツアーの行程の中で作った作品を各自1句づつ提出し、その中から3句づつ選択、投票し、その後先生から好評をいただくなど貴重な句会を体験しました。

井上井月については、特に下伊那の方々には広く知られていない人物ですが、今回のツアーを通して井月に関する一端を少しのぞいたに過ぎないのかもしれません。しかし、ガイドの方の詳しい熱心な説明を聞き、ゆかりの地を訪れる中で、井月について認識が広まったのではないでしょうか。ガイドの唐木さん、大変ありがとうございました。また、実際に俳句を作るという貴重な体験もあり、俳句について少し身近に感じられるきかっけになったのではないでしょうか。短詩アドバイザーの2人の先生方、大変ありがとうございました。

今回の井上井月ツアーは、「下伊那の井月」であり、余り知られていない下伊那に残る井月ゆかりの地を訪れましたが、伊那市美篶にある井月の墓や行き倒れになった「火山峠(ひやまとうげ)」など、井月の足跡が一番感じられる上伊那地域にも足を延ばしたツアーを企画、催行できれば良いと思います。

今回は、多くの方にご参加いただき誠にありがとうございました。

Staff ゆっきー

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