現地からのレポート

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大平宿の発祥と盛衰を知る、旧中山道の面影とともに(10/8)催行報告

令和4108()に「大平宿の発祥と盛衰を知る、旧中山道の面影とともに ~落合の石畳(国史跡)と旧宿場町を歩く~」が催行されました。昔ながらの面影を残す大平宿を訪ねながら、足を延ばして岐阜県中津川市にある中山道3宿(馬籠宿・落合宿・中津川宿)を訪ねるツアーです。

清内路廻りで大平宿に着き、ガイドの広瀬さんと宮内さんの案内で大平宿に残る古民家を巡りました。「せがい造り」など大平宿独特の建築様式などについて説明をしていただき、大変理解を深めることができました。

大平宿の庄屋だった「紙屋」にてじっくりと大平の歴史をお聞きしました。江戸時代に飯田城下町大横町の山田屋新七が飯田藩から開発を許可された話、紙屋の大蔵さんの御先祖の話(木地師)、入会地をめぐる大平側と鼎や伊賀良にある村々との争いの話などと、多少難しいですが興味深い話をお聞きしました。講座の後は、紙屋の客間などに分かれて砂払温泉の名物五平餅を汁物とともにご賞味いただきました。

大平宿を後にして馬籠宿をガイドの案内で散策しました。最初、展望広場にて恵那山をはじめ、眼下に広がる中津川市や恵那市など東美濃の広大な地域を展望しました。鎌倉幕府御家人として源頼朝に仕えた加藤景廉がこの広大な遠山庄をもらい受け、岩村遠山氏、明智遠山氏、苗木遠山氏の遠山氏三家がこの地に繫栄した話など、興味深い話をお聞きしました。

馬籠宿を後にして、「落合宿ガイドボランティアの会」の水野会長の案内で、「新茶屋の一里塚」と「落合の石畳」をご案内いただきました。一里塚は江戸時代に約4㎞毎に設けられた施設で、街道の両側に松や榎が植えられたそうで、新茶屋の一里塚は、ちょうど信濃国と美濃国の国境にありました。落合の石畳も詳しい説明があり、皆さん興味深々の様子でした。

「落合の石畳」に引き続き、ガイドの水野さんの案内で落合宿本陣を見学しました。本陣前では、先程の「新茶屋」から本陣の左方向にある善昌寺の松までが国史跡に指定され、街道に残る建物が国史跡に指定されることはあるが、ある街道沿いのある範囲を区切って指定されるのは珍しいとのことです。本陣は、明治天皇も小休憩された由緒ある建物で、内陣の奥の間など貴重な部屋を見学させていただきました。

資料館の企画展「幕末明治の医学と中津川」では、幕末に中津川を中心に活躍した馬島靖庵に係わる貴重な史料を展示しており、信州伴野(現在の豊丘村)の女性勤王家・松尾多勢子の診療にも出向き、伴野村に一時滞在したそうです。幕末において、国学の一大拠点だった伊那谷は、同じく国学の盛んだった中津川など東美濃地域との交流が盛んだったようで、松尾多勢子の書状も展示されていました。中津川宿は一部に「うだつの上がる町並み」が保存されており、初めて訪れる人には美しい町並みに驚かれたようです。川上屋では、名物「栗きんとん」をお土産に購入されていました。

今回、大平街道、大平宿と大平街道とも深い関わりのある中山道三宿を訪れました。
それぞれ馬籠宿は内外の多くの観光客が訪れる著名な観光地になっていますが、大平宿や落合宿、中津川宿は観光地としてはまだ広く知られておらず、それが観光地化されていないこともあり、そこの魅力でもあると思います。そうした各宿場町の個性や魅力を今回のツアーでは感じていただけたのではないでしょうか?来年も10月~11月頃に大平宿の魅力に触れていただき、周辺の知られざる観光資源を訪れるツアーを実施して参りますので是非ご参加ください。

今回は、多くの方にご参加いただき誠にありがとうございました。

Staff ゆっきー

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