現地からのレポート

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心川・帯川・満島・梁木島の番所跡を訪ねる (10/30)催行報告

令和410月30()に、南信州の関所・番所シリーズの2回目として「心川・帯川・満島・梁木島の番所跡を訪ねる」が催行されました。
1回目は、清内路関所、小野川関所、浪合関所など南信州の西部地区に残る関所・番所を訪ねましたが、今回は、阿南町、天龍村、飯田市遠山郷など南部地区に残る関所・番所を飯田下伊那の歴史・文化に大変詳しい山内尚巳先生の案内で訪れました。

平谷村にある滝之澤城跡は、天正10年(1582年)の織田軍の侵攻にあたり、武田方の下条信氏(吉岡城主)が激突した城跡。また現在、阿智村浪合にある浪合関所が元々あった場所だそうです。

心川関所は、遠州街道と三州街道を結ぶ間道に設けられた関所。心川沿いの川筋に散在する民家の裏側に旧道が通っており、関所建物の石垣と思われる痕跡を確認することができました。阿島の旗本・知久氏が管理していましたが、間道で通過する人も少なく、「女作場札」を持った近所の女性が通行したそうです。関所・番所の役割は、特に女性の通過の監視にあったようで、男性の通過には意を払わなかったようです。

遠州街道に設けられた帯川関所は、心川関所と同様に阿島の知久氏が管理しました。旧帯川村(石高10石という極少の村)の面影を伝える街道筋には本棟造りの立派な建物も残っており、「関所」に通行をお願いする際に通行者が手をついた「お手付き石」も見ることができました。また、関所建物の間取りが記された資料について山内先生から説明があり、そこに記された「女間」は、関所を通行する女性の衣服などを取り調べるための部屋だそうで、女性の通行に神経をとがらせた様子を垣間見ることができました。また帯川には国語学者として有名な西尾実先生の旧宅が残っていました。

阿南町御供地区にある「おどもカフェ」。古民家再生をして美味しい創作料理が楽しめるお店です。食材の美味しさを引き立てた料理とデザートのシフォンケーキ&カフェに満足しました。

天龍村の平岡にある満島番所跡は、天竜川を下される榑木や筏、様々な物資などを監視するために江戸幕府が設置し、遠山氏の一族が南遠山家、長野遠山家の2家に分かれて、月番交代で監視役を務めました。平岡駅のすぐ下にある南遠山家では、ご当主が番所や火縄銃、籠、古文書など貴重な史料を特別に公開していただきました。また、近くにある薬師堂も開けていただき、仏像を拝観させていただきました。その後、南遠山家から旧道を歩いて北側に位置する長野遠山家の満島番所跡を訪れました。立派な長屋門が印象的でした。両遠山家の番所跡を見学した後、天竜川端にバスで降りて、天竜川の流れと地震で崩れる前の両番所の跡の位置を確認しました。天竜川を下す様々な物資を監視した様子などが想像できるとても良い場所でした。

今回の関所・番所巡りの最後の目的地である梁木島番所跡を訪れました。バスから降りて10分ほど歩くと、小嵐川端にひっそりと番所の建物が残っていました。満島番所と同じく、徳川方と豊臣方の戦い(大阪冬の陣)が起きた慶長19年(1614)に、遠山景直が一族を番人として秋葉街道沿いに置いたことに始まるとされ、元は青崩峠に近い場所にあったそうです。

関所・番所と言えば、中山道の木曽福島関所や碓氷関所、また東海道の箱根関所や新居関所などを想い浮かべます。五街道など主要街道が通っていなかった南信州には、関所・番所といっても「そんなのあったっけ?」というのが普通の反応かと思います。しかし、南信州は、遠州・三州・大平・秋葉の各街道が通り、東西交通の要衝だったため、市瀬、清内路、小野川、浪合、心川、帯川などに幕府は関所、番所を配置し、天竜川を利用した物資の監視のための満島番所を置くなど、この地域は関所・番所が集中する場所だったのです。堀家飯田藩の初代藩主である堀親昌もこの地は交通・物資の「要の地」であると述べています。「南信州の関所・番所シリーズ」として2回にわたり、各関所・番所を巡りましたが、現存する建物はほとんどないものの、南信州の昔の時代を語る上で、関所・番所は大切な今後も大事にしながら内外に発信していくべき歴史的観光資源であるとの感想を持ちました。

この関所・番所を巡るツアーを今後も引き続き実施していきたいと思いますので、是非その際には多くの方にご参加いただければ幸いです。

今回は、多くの方にご参加いただき誠にありがとうございました。

Staff ゆっきー

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