現地からのレポート

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飯田藩主、旗本交代寄合、水戸天狗党が行き交った伊那街道を訪ねる(3/19)催行報告

令和5年3月19日()に「飯田藩主、旗本交代寄合、水戸天狗党が行き交った伊那街道を訪ねる」が催行されました。伊那街道は「中馬街道」とも呼ばれ多くの人馬が街道を行き来しました。江戸時代には飯田藩主や旗本交代寄合衆が宿泊し、また幕末には水戸天狗党が通行するという一大事件があり、各宿場を訪れてその歴史を探りました。

片桐宿の問屋役や庄屋をつとめた大澤家。今回特別に大澤家の方の案内で立派な長屋門や水戸天狗党の武田耕雲斎が宿泊した貴重な部屋を見学させていただきました。

飯島陣屋は伊那谷の幕府天領を支配した陣屋で、今回専門の方の案内で内部を細かくご案内いただきました。また天狗党が飯島宿を通過する時は、飯島陣屋が当時松本藩の支配下にあり、同藩より天狗党の通過の際には「手出し無用」として通過を見過ごしたそうです。
飯島宿を北に進むと次の宿場「上穂宿・赤須宿」に至ります。ほぼ現在の駒ケ根市中心街に位置していますが、宿場街道の西側が「上穂宿」、東側が「赤須宿」に分かれている「合宿」と呼ばれる特殊な宿場町です。「天下の糸平」と呼ばれた田中平八の生誕地の石碑を車窓ながら見学しました。

駒ヶ根高原「早太郎温泉」にある茅葺の古民家をリノベーションした風情たっぷりの東右衛門。駒ヶ根のご当地グルメと言えばソースカツ丼ですが、「かつ丼」ではなくソースカツとライス、そしてお蕎麦をメインにした「竹取御膳」をご賞味いただきました。とても美味しいと大好評でした。

この建物は、宮田宿の本来の位置から西寄りに移築建築したもの(長野県宝)で、飯田藩主などお殿様が泊った部屋がそのままの形で残っています。地元教育委員会の方から、各部屋の間取りや釘隠しの有無など違いをご案内いただきました。また「堀大和守泊」「堀兵庫頭」などの飯田藩主や「知久千馬佐」など交代寄合衆が本陣に泊った際に掲げた貴重な「宿札」を残されています。

先程の宮田宿本陣旧新井家住宅に続いて、宮田村教育委員会の方の案内で旧宮田宿を散策しました。まず正木屋酒店に立ち寄り、水戸天狗党の通過の際に店の先祖である山浦山甫(藤佐衛門)が天狗党に引き連れられていく高遠藩士の助命嘆願に天狗党と掛け合った話など興味深い話をお聞きしました。またその際に武田耕雲斎からいただいた立派な書を今回初めて公開していただき、皆さんととても関心を持ってご覧になっていました。また山浦山甫と深い交流のあった俳人・井上井月の貴重な関連史料も見せていただきました。大変ありがとございました。

正木屋酒店を出て宮田宿を北へ向かいます。宿場の北にある「喜多屋」さんにお邪魔し、水戸天狗党の残した和歌の書いた短冊や天狗党通行の記録を記した文書など貴重なものを今回特別に公開していただきました。国の登録有形文化財の建物とともに貴重な文化財を見せていただき、大変ありがとうございました。

宮田宿から伊那街道を北上し、昔の伊那街道の道筋を辿るため、途中国道153号の「沢渡交差点」を左に入り、段丘下を通る旧伊那街道沿いを通りました。旧井澤家住宅は、伊那部宿の南からの入口(桝形)にある旧家で、家の中央にある立派な井戸や宮田宿本陣にもあった宿札、二階造りの構造などをご案内いただきました。その後、旧伊那部宿の街並をご案内の方にご案内いただきました。宿場は閑静な雰囲気の街並が残っており、各家の表札には「〇〇屋」などと書かれ、昔の宿場の面影を偲ぶことができました。

江戸時代に「中馬街道」として多くの人馬が行き交った伊那街道(三州街道)を飯田市から伊那市まで各宿場町を辿りました。「伊那街道」という名前は聞いたことがあっても、実際に街道に沿って各宿場を訪ねることはなかなか無いかと思います。今回のツアーでは、伝馬や中馬街道など庶民の方が行き交った面の他に、飯田藩主や交代寄合の殿様が参勤交代の際に通行した様子、また幕末の大事件「水戸天狗党の伊那谷通行」の足跡を辿ることに焦点を当てました。飯田藩主が実際に泊まった建物や部屋などをご覧いただき、また各宿場での水戸天狗党のエピソードなどを貴重なお話をお聞きしました。

こうした街道や宿場を訪れることは、多くの方が興味を持たれており、今後も続けていきたいと思いますので、その際は是非ご参加ください。

今回は、多くの方にご参加いただき誠にありがとうございました。

Staff ゆっきー

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