現地からのレポート

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近代日本を創った南信州の偉人たち(7/17)催行報告

令和5717(月・祝)に、「近代日本を創った南信州の偉人たち ~田中芳男、松尾多勢子、田中平八、伊原五郎兵衛~」が催行されました。

「日本の博物館の父」と呼ばれる田中芳男は、今年の連続ドラマ「らんまん」に登場し、知名度も上がっています。飯田市美術博物館専門研究員の青木隆幸さんは、田中芳男をはじめ、日本の近代化に取り組んだ偉人について大変詳しく、今回のツアーでは全面的にご案内をお願いしました。青木さんの大変熱のこもった講演やご案内に、参加者の皆さん引き付けられた様子でした。

青木さんが膨大な資料を作成していただき、偉人について大変熱のこもったお話をしていただきました。田中芳男、松尾多勢子、田中平八、伊原五郎兵衛たちは、実は城下町飯田を起点に互いにつながりあった関係にあったことなど興味深い話をお聞きしました。

田中芳男・義廉顕彰碑は、桜並木とりんご並木の中間点に位置した場所、そして芳男が改良に取り組んだ「田中びわ」が植えられている場所にあります。芳男の生誕地は、中央通り2丁目のNTT付近にあった「千村陣屋跡」にあたります。特に何も残っていませんが、芳男の生誕地に想いを馳せました。

今年は飯田駅開駅100周年の記念すべき年にあたります。旧伊那電鉄、そして飯田線の開設に尽力した伊原五郎兵衛を顕彰する飯田駅前の碑を青木さんの熱のこもった案内でその功績に想いを馳せました。まさに私財を、命を懸けて飯田線の敷設に取り組んだ人生に感動しました。

青木さんによれば、田中平八の凄いところは、彼は福澤諭吉や渋沢栄一と違って一度も海外に行かなかったが、横浜での活動を通して彼は「海外」というものを居ながらにして理解し、体得したことだろうとのことでした。参加者の方は、飯田警察署のここに「天下の糸平」顕彰碑があることは初めて知った方ばかりで、新たな発見になったようです。

飯田市山本の竹村家から豊丘村(当時は伴野村)の松尾家へ嫁いだ松尾多勢子。幕末、単身京都に上り、尊王攘夷の志士たちと交わり、若い長州の品川弥二郎などからは「おばあちゃん」と慕われていたのではないかと、青木さんが話をされました。松尾多勢子の中津川の市岡家などとの交際を示す貴重な史料などを見学しました。

今回のツアーは「飯田駅開業100周年記念」もテーマにしており、飯田駅で伊原五郎兵衛の顕彰碑を見学し、実際に飯田線に乗りました。伊那谷の田切地形を利用して急な勾配を走る「Ωカーブ」を体感しましたが、それ以上に皆さん久しぶりに飯田線に乗って懐かさを感じているようでした。

養蚕、生糸、絹織物産業などシルクについて豊富な展示で知られる同館にて、伴野館長の案内で様々とても面白いお話を聞きました。駒ヶ根(赤穂)にかつてあった龍水社の展示を見ながら、飯田市にある天龍社などの話も出ました。是非、これからも多くの方に訪れてほしい博物館だと思いました。

田中芳男、松尾多勢子、田中平八、伊原五郎兵衛。南信州・飯田からは、幕末から明治にかけて錚々たる偉人が輩出し、しかも多様な分野で活躍した個性豊かなだと思います。今回、飯田市美術博物館の青木さんから彼らの生き様や想いに迫るとても貴重なお話を聞きながら、そのゆかりの地を訪れました。田中芳男は連続ドラマにも登場し、知名度も上がっています。青木さんの話にもありましたが、飯田市の中心市街地には、芳男がその命名に携わった「ソメイヨシノ」の桜並木、「和りんご」に「西洋りんご」を接ぎ木して改良し、今の美味しいりんごに繋がる道を開いた田中を象徴する「りんご並木」、その先にある“無料”で見学できる飯田動物園、飯田市美術博物館などが集中しており、ある意味、田中芳男の目指した世界を小さいながらも体現している町が「飯田市」なのかと思いました。今回のツアーでは、青木さんの案内のお陰で、南信州の偉人たちの功績とともにその人間的な魅力に迫ることができたのではないかと思います。

最後に、この度のツアーでは、28名様という多くの方にご参加いただき、また東京都や名古屋市の方も遠方からご参加いただきまして、誠にありがとうございました。

Staff ゆっき~^^

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